神道と天皇

 最近WBCの展覧試合で侍ジャパンの村上選手が、ガムを噛み風船をつくりながら腕組みをしている姿が不敬だと日本中からたたかれています。一応ノーカットで事実確認しましたが、最初は拍手していましたがやってしまっていますね。一部擁護する人も出ていますが、これは将来の彼のことを思えば優しい行動とは言えません。村上選手は恐らく天皇は何やっているかわからないけど、なんとなく敬わなければならん人なんだろうくらいの知識しかなかったのだと思います。

 では、家庭教育が悪いのでしょうか、学歴のせいでしょうか、どちらでもありません。戦後の学校教育で教えなくなった、正確に言えばGHQに消されてしまった教育内容が原因だと思います。   日本人は縄文時代から祖先崇拝、森羅万象、自然崇拝し様々なところに神が宿り、人間は生活の中で神々とともにあり、よりよく生きるという信仰考えのの基に2700年もの間国家のトップが変わることなく国家存続してきました。こうした日本の伝統文化が仏教が入ってきたころに区別するために神道という名前になり現在にいたっています。

これを聞くと、「えええ、そんなん知らんがな」と思う人もいるかもしれません。それがもしかしたら今回の村上選手だったのかもしれません。でも生活を振り返れば知らずに習慣的に神道の考え方の基生活しているのです。

 例えば、大晦日をはじめとした清掃、入浴など心身と清め、周りを整理整頓する習慣、お正月様という神様を迎える儀式、初詣、鏡開きそれに付随したお年玉(飾った餅に神が宿りそれをいただくのが本来のお年玉)春と秋のお彼岸に墓参り、七五三、婚礼(愛の歌君が代が読まれていた)箸を横に置く習慣、11/23新嘗祭(勤労感謝の日に帰られたが)日本人は古くからこうした習慣を続けてきました。

 ここで天皇との関係ですが、天皇は神道という日本の伝統文化的信仰の大司祭なのです。先の大戦でGHQのマッカーサーが他の敗戦国のTOP同様、命乞いをするかと思いきや           昭和天皇は「私は殺されても良い、ただ8000万人の国民の命だけは助けてほしい」        このようにおっしゃったそうです。欧米の歴史では敗戦国の国王は敵国か国民に処刑されるかはよくある話ですが、終戦後、昭和天皇が護衛もつけず国民の前に現れ皆に挨拶をしている様子をみてマッカーサーは驚いたという記録があります。中略しますが、こうした背景があり最終的にGHQの下書きした日本国憲法では、第一条に主権は天皇から国民へ、天皇は象徴的存在に位置付けるとしたわけです。

無論、今の日本があるのは戦争で犠牲になった英霊を忘れてはなりませんが、今の日本があるのは終戦後の天皇陛下のおかげであるといっても過言ではないのです。

ではなぜ教科書から消されたのか、それは戦前までのように天皇の力を民主主義に影響させたくなかったからです。強い日本は復活しないようにアメリカの商品(小麦をはじめとした農産物など)を消費するマーケットにしたかったのです。現に現在パンがすっかり日本の食卓の定番になりそのほかアメリカから様々なものを交わされています。

日本には技術発展に石油与えて、経済に寄与させ不満がたまらないようにアメリカトルーマン大統領の掲げる3S政策(スポーツ(巨人対大砲、プロレス)、スクリーン(映画・メディア)、セックス(風俗の緩和)で、お花畑国民を増やし国の弱体化をするように仕向けて行ったのです。しかしながら、神道の本質は教育されませんでしたが、終戦80年経過した現在でも習慣は今も残っています。つまり、戦後のGHQの教育コントロールにも影響され、村上選手のような態度をする国民が作られてしまっているという側面があるのだと思います。

根本 豊