神道って宗教なのか?他の宗教と何が違うの?

前回のブログでも触れましたが、そもそも神道とは何かに触れてみたいと思います。

神道とは日本の縄文時代から継承されている日本古来の自然信仰や祖霊崇拝を基盤とし、森羅万象に八百万(やおよろず)の神々が宿るとする伝統文化であり民族宗教です。

宗教と名前はついていますがキリスト教、イスラム教、ユダヤ教のように開祖や教義、固定的な教典(聖書やコーラン)を持たず、清浄を尊び、祭りや感謝を通して生活に密着した教えで、神社を中心に清掃整理整頓の習慣、初詣や七五三、婚礼、各種祭り、大晦日、正月、新嘗祭(11/23)などの儀礼として現代も根付いています。

上記と重複する部分もありますが

神道の主な特徴

1.八百万の神(やおよろずのかみ):■山、川、海、木、岩など森羅万象、自然物や生活に関わるあらゆるものに神が宿ると考える。例えば勉強の神様、恋愛の神様、安産の神様、商売の神様、ご神木など自然そのものを崇拝対象とする神社もあります。

2.自然への畏敬、感謝■自然の恵みに感謝し、共存することを大切にする。特にお米は神からの授かりものであり、食卓で箸を横におくのは鳥居にみたて神と一緒にいただきますという意味なのですが多くの日本人はこの意味を知らずに習慣にしていると思います。

3.清浄を尊ぶ(せいじょう)■罪、穢れ(けがれ)を避け、心身の清らかさを重視する。穢れは=気が枯れるという意味で生きる力を維持するために清掃、体を清め生命力を清浄するととらえ入浴が習慣化しています。その副産物で本来の効果とは離れますが、欧米人は体臭があり寝る前に香水をつけて寝る習慣がありますが、日本人は体臭がないと欧米人には言われています。こうした「浄明正直」の精神(じょうめいしょうちょく) 清らか(浄)で、明るく(明)、正しい(正)心を持つことが、神道における倫理観の根幹です。日本人が掃除を好み、入浴の習慣を大切にしたり、整理・整頓・掃除(3S)を重視したりする背景にも、この「清浄を尊ぶ」伝統が深く影響しています。 

4.お祭り、儀礼■地域社会の和を保つため、神社での祭り、初詣、結婚式、地鎮祭などの神事を行う。これは説明の必要はないでしょう

5.開祖、教典、教義がない■神道は本質的には日本の伝統文化なので一般的にいう宗教とは違います。ただ、宗教ということで分類しようとすればキリスト教、ユダヤ教、イスラム教のように世界宗教と日本の神道やヒンズー教のような民族宗教にわけることができ民族宗教には教祖がいません。世界宗教のユダヤ教は開祖がヤハウエィ、キリスト教はイエス、イスラム教はアッラーであり、教典はユダヤ教が旧約聖書、キリスト教は旧約聖書と新約聖書、イスラム教はコーランがあります。繰り返しになりますが神道は、こうした特定の宗教組織や経典を持たず、民族的な慣習や伝承が基になっているのです。

余談になりますが、勤労においても違いがあります

ユダヤ教◆「働く」という行為は、単なる生計手段ではなく、神との契約に基づく義務や、世界を修復する神聖な行為として位置づけられています。

イスラム教◆神への奉仕や社会貢献、自己成長につながる神聖な義務

ユダヤ教◆単なる生計手段ではなく、神との契約に基づく義務や、世界を修復する神聖な行為として位置づけられています。

キリスト教◆時代や宗派によって変遷が見られますすが根底には聖書に基づく神の命令と原罪の苦役とされていますが、アダムとイブが禁断の果実を食べた罰として働くという労働=罰という印象が強いですよね

ここまで比較で出てこなかった仏教は今あるものに満足し、物質的な贅沢ではなく精神的な豊かさを大切にする姿勢なので資本主義には向かないかもしれませんね。

最後に神道における勤労は、単なる経済活動や生活の手段ではなく、「神々への感謝」「自然の恵みへの奉仕」「共同体の維持」という宗教的・精神的な意味を持っています。神と共に生き、社会に貢献する尊い行為として位置づけられています。神道では、人間は神の分霊(わけみたま)をいただき、自然と調和して生きる存在とされています。特に農作業において、人間が田植えや収穫を行い、神がそれを祝福し、共に新米を食すという「共食(きょうしょく)」の考え方が基本にあります。箸を鳥居にみたて横に置き食事がおいてある結界として神と共にいただくはここからきています。

ちなみに11/23の新嘗祭(にいなめさい)の起源は天皇がその年に穫れた新米を神々に捧げ、感謝を伝える行事でありましたが、これを戦後GHQが勤労感謝の日に変えたとされています。

「勤労感謝の日」の由来です。

根本 豊